横浜文化体育館

横浜文化体育館館長あいさつ第18号 文体でのプロレスの名勝負 
第18号 文体でのプロレスの名勝負 

 

 横浜文化体育館では、57年の長い歴史の中で、いくつもの名勝負、名場面が繰り広げられました。

 アリーナは、時にはプロレスリング、バレーボールコート、卓球コート、ボクシングコートと、日によって様々な顔に変化します。

 その中で、競技者の一人ひとりは、嬉しい思いや悔しい思いを味わいます。観客者も競技者の一挙手一投足に目を凝らし、ため息と感動を生み出します。

 

 名勝負といえば、1962年の力道山 vs ブラッシーのワールドリーグプロレス。1964年の東京オリンピックの日本代表男子バレーボールチームが、銅メダルを獲得したオランダとの対戦。1974年のアジア卓球選手権大会、同年の花形 進選手によるボクシング世界タイトルマッチなどは、ファンの胸に大きく刻まれているでしょう。

 

 そして、プロレスファンが横浜文化体育館での名勝負といえば、この試合を一番にあげるのではないでしょうか?

 

 1988年8月8日(月)に、アントニオ猪木vs藤波辰巳の師弟対決の試合です。

 横浜文化体育館で行われたこの興業は、「スーパー・マンデー・ナイト・イン・ヨコハマ」のタイトルで行われました。

 IWGPヘビー級選手権試合は、60分1本勝負。この時点ではチャンピオンが藤波選手で、チャレンジャーが猪木選手でした。藤波選手を育てた猪木選手が挑戦するという、真逆の対戦が実現しました。   

                               

 猪木選手は、45歳。

 ファンもマスコミも、「この試合に負けたら猪木引退」との空気になっていました。

 テレビ朝日は特番を組み、フリーになり降板していた古舘アナウンサーが、「猪木さんと最後の試合は自分が実況すると約束がある」と1試合のみの復帰をしました。

 

 8月の灼熱のリングの上で、すべての技術と気力を出し尽くす両者は、観客を一瞬たりとも気を抜かせることなく60分間の死闘を演じました。無常にもフィナーレのゴングが鳴り、時間切れ引き分けで、藤波選手が防衛を果たしました。

 試合後、猪木選手は、IWGPベルトを手に取り、それを藤波の腰に巻いてやりました。藤波選手の顔がゆるみ、涙が溢れます。見ると猪木選手の顔にも涙が見られました。

 

 この日以来、新日本プロレスは、毎年、8月8日に横浜文化体育館で興行をしています。

 

 

令和元年11月22日

 

  

【参考引用文献 】

Number Web:新日の「8.8横浜文体」が特別な理由。29年前の藤波と猪木、そして鈴木実。

   

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